さて、曹操紹介最終回じゃな。
今回は曹操の最後、評論を載せていくぞい。
ラストエピソード
さて、曹操編は今回で最後じゃ。最後は曹操の死と、曹操に対する評論じゃ。
長かったですね。師匠これで燃え尽きたりしないですよね。
馬鹿を言え、まだ呉の武将も出てきておらんのに、ここで燃え尽きるわけないじゃろう。じゃがまあ、ここまで深く掘り下げる人物はもうおらんかもしれんのう。それだけ調べがいのある人物と言うことじゃな。
それじゃ、さっくりと行きましょう。
曹操の遺言
220年正月、関羽の討伐が終了した後、一月二十三日に曹操は崩御するんじゃよ。遺令にて以下のように言うんじゃ。
「天下は依然として安定を見ない以上、まだ古式に従う訳にはいかない。埋葬が終われば、皆服喪を去れ。
兵を統率して守備地に駐屯している者は、部署を離れることを許さぬ。官吏はそれぞれ自己の職に努めよ。
遺体を包むのには平服を用い、金銀珍宝を(墓中に)おさめるでないぞ。」
無駄に時間と金のかかる葬儀はいらん、と言う合理的な曹操の考えが良く分かる遺令じゃな。
毛宗崗による誹謗中傷
さて、曹操らしい遺言なんじゃが、これにケチをつけた人物がいる。三国志演義の改訂者である、毛宗崗と言う人物じゃ。
元々三国志演義は羅漢中と言う人物が作り上げたもので、作中では曹操は奸雄である一面を持ちつつも、かたや英雄らしいスケールの大きさを感じさせる人物にしておったらしいんじゃが、毛宗崗はこれをすべて否定するんじゃ。
彼は三国志演義における三絶(傑出した三人の人物)として、曹操、関羽、諸葛亮を割り当てるんじゃ。関羽は義絶、諸葛亮は智絶、この辺りは演義の内容を見ればわかるが、曹操は奸絶(悪人の極み)として曹操を設定し、彼の行い、発言をすべて否定するんじゃよ。
そして演義においての遺言でも、彼のことをこき下ろすんじゃ。文章は上の遺令に色々つけ足しておるが、要は後漢王朝が力を失い魏にとってかわられそうなのに、国のことを一言も言わない。曹操は狡猾でずるがしこい。
そして総評として、
「曹操は漢を簒奪する意思がありながら表面的に周の文王を気取った。その意図は後世の天下の人々をすべて欺こうとすることにあり、後世の無知な人々は、このためついに騙されることになったのである。曹操は誠に奸雄の最たるものである。曹操の生涯には真実などなく、死に及んでも尚偽りであった。」
正直ワシはこれを読んで、若干あきれ果てたぞい。毛宗崗は曹操をとことんこき下ろそうとしているが、そうすればそうするほど、同時代に生きた人物達、そして後世に生きる人たちを自らの手で貶めていることに気が付いておらん。
しかも皆騙されることになった(自分だけが真実を知っている)などと言うのは傲慢そのものでしかない。自ら作り上げたわけでもない、羅漢中の手による作品を借りて好き勝手改変し、しかも歴史上の偉人まで矮小化させ、悦に入っている。
ワシあまり人の好き嫌いとかはないんじゃが、この手の人物は一番軽蔑するタイプじゃな。
じゃが今残っている三国志演義は基本多くがこの毛宗崗本なんじゃよ。じゃからワシは吉川三国志の方がずっと好きじゃな。毛宗崗本好きの方がいたら申し訳ないのう。
『魏書』による曹操評
曹操の軍を動かし、兵を用いるやり方は、おおよそ孫子・呉子の兵法に従った。状況に応じて奇策を設け、敵を欺いて勝利をものとし、その変化は神のようであった。
自身で十万余字にのぼる兵法の書物を書き、諸将の征伐の場合、全てこの新しい書物によって事を行った。
(中略)
軍を指揮すること三十余年、その間書物から手を放さず、昼は軍事の策略を考え、夜は経書やその注釈に思索を向けた。
高所に登れば必ず詩を賦し、新しい詩ができあがると、それを管弦に乗せ、すべて音楽の歌詞となった。
人並外れた腕力を持ち、自身で飛ぶ鳥を射たり、猛獣を捕らえたりした。南皮で六十三羽の雉を射たこともあった。
宮殿を造営したり、器具類を制作する場合、すべてにわたって青写真を作ったが、皆十分に目的に当たったものだった。
本性は倹約家で、華美を好まず、後宮の衣服も錦や刺繍を用いず、側近く侍る者の靴も一色であった。帷帳や屏風も壊れれば補修し、布団は暖かであればそれでよく、縁飾りなど付けなかった。
陳寿の評価
漢末はたいそう天下が乱れ、豪傑が一斉に立ち上がった。その中でも袁紹は四つの州を根拠に虎視し、その強盛さは無敵であった。
曹操は策略をめぐらし計画を立て、天下を鞭撻督励し、申不害・商鞅の法術をわがものとし、韓信・白起の奇策を包み込み、才能ある者に官職を授け、各人のもつ機能を利用し、自己の感情をおさえて冷静な計算に従い、昔の悪行を念頭に置かなかった。
最後に天子の果たすべき機能を掌握し、大事業を成し遂げえたのは、ひとえにその明晰な機略が最も優れていたためである。
そもそも人並外れた人物、時代を超えた英傑と言うべきであろう。
それではつづいて曹操の能力評価と行こうか。今回はもちろんどのゲームにも登場しておるぞい。
能力評価
さて、曹操が出てきた以上、名将と宰相のランク一位はこれで固定になると思うぞい。張郃のように名将、宰相部門で曹操に近づける人物はいるじゃろうが、総合力では誰も彼を超えることはできん。
じゃが前回も言った通りすべてが最高値ではないのう。武勇はやはり呂布じゃと思うし、実際一度は彼に蹴散らされておる。知略でも賈詡によって一度死にそうになっておる。政治面を見れば法整備をした陳羣、多数の人材を推挙した荀彧、蜀の宰相諸葛亮などもいる。
単純なトンチでは楊脩や息子の曹沖などがおり、詩賦では李白・杜甫の出現まで、詩の世界における神、と言われていた息子の曹植がいる。
草書、音楽、囲碁も名人級の腕前じゃが、それでも一歩届かない印象があるのは、曹操が色んなものに興味を示し、一つの事柄に集中できんかった、と言う側面もあるんではなかろうか。
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雑談ぢゃ
さて、曹操の能力評価じゃが、さすがにどの作品も高いのう。
そうですね。師匠のが案外そこまで高くない印象でした。劉備よりも統率が低いのですね。
曹操の場合は大軍よりも自ら少数の奇襲部隊を率いた方が腕の冴えを感じてしまったんじゃよ。それに1、2項目ならば上述のように曹操を超えうる人物らががいない、とは思えんからのう。
他の作品もさすがの高評価ですね。
そうじゃな、じゃがコーエーテクモさんのにはちと不満なんじゃよ。
どこでしょうか、数値的には文句なしだと思いますが?
コーエーさんの三国志シリーズで総合トップは基本曹操なんじゃが、それは大抵武力込みで、だからなんじゃよ。
と言うことは武力抜きでは少し落ちるのですか?
いや、十分高いんじゃが、武力でお茶を濁されてる感じはするんじゃよ。もう少し突き抜けておるじゃろう、と
ちなみにワシの評価で、4項目が全て青文字(150以上)になるのは唯一曹操のみじゃ。
うーん、相対的な話ですが、そう聞くとやはり師匠の評価は高いんですね。
さて、総合トップはもう曹操のものじゃが、名将部門、宰相部門では張郃のように曹操に迫る能力を示すものが出てくるぞい。だれがどんな程度の能力になるか。曹操を物差しとして見ていくと面白いと思いますぞい。では今日はここまでじゃな。
長かった曹操もここまでですね。ちょっと感慨深いですねえ。
いやいや、まだこっから曹操陣営の始まり、じゃからな。休んでいる暇はないぞい。
分かりました、次もお願いしますね。