さて、前回で鮮卑族の紹介は終わったことで、今回から新しい勢力の紹介じゃな。今回は代郡太守であった傅睿の孫に当たる人物であり、魏を代表する名臣の一人じゃな。
さて、今回は傅嘏の紹介じゃな。魏志で立伝されておる重要な人物じゃ。
どうも、張郃だ。傅嘏殿か、かなり若かったが見識と判断力に優れた人物だな。
そう言えば初期群雄の中に傅睿っていましたね。勢力的には目立たなかったですけど。
祖父の傅睿殿はすでに紹介していたか。能力的には太守を務めていたとはいえ、それ以上の実績はないことから抑えめな評価だったのだな。
そうじゃな、孫の傅嘏の代まで持ち堪えることができれば、勝負の芽も出てくるところじゃが、実際はその前に勢力が滅びて在野に降るケースが多いじゃろうな。それでは能力評価を見ていくとしようかのう。
能力評価
さて、それでは各項目ごとに評価理由を見ていくとしようかのう。
軍事・統率
軍事面に関しては魏志『傅嘏伝』を見ても特に軍事で卓越した実績を残したりはしておらんようなんじゃ。。
確かに彼の本分は軍事面にないのは確かだから、この評価はそう大きく外れてはいないだろう。
知謀
知謀に関しては何晏の性状を読み当て、曹爽達が危機に陥る恐れがあることを忠告したり、呉討伐における問題点を指摘し、諸葛恪が徐州征伐の構えを示した時は、それが陽動であり、実際は合肥を狙っていることなどを予測しているんじゃ。
この辺り優れた予見力ですね。そのために知謀が高めの評価となっているのですね。
政治
魏志『傅嘏伝』によると、何晏達によって一時失職した傅嘏じゃが、後に司馬懿に引き立てられ従事中郎将となり、曹爽が処刑された後は、河南尹となり、裴松之注の『傅子』によって大いに治績をあげたんじゃよ。更に司馬師が亡くなった時はすぐに司馬昭を洛陽に戻し、実権が司馬師からすんなり司馬昭に移行するよう尽力するんじゃ。
これが魏の運命を決定づけたとも言えなくはないが、魏国内を混乱させないためには必要な措置であったのは確かだからな。
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簡単解説
三国志14と天舞三国志、師匠の能力はどれも結構似た感じになっていますね。
どれも政治が一番高く、それに続いて知謀が高い、更に魅力、人望関連が高くなっている。多少能力の上下はあるものの、ここまで同じ傾向なのも珍しいな。
傅嘏が君主であれば劉表ぐらいは勢力伸ばせそうですが、登場するのが230年頃と言うのはさすがにちょっと遅いですね。
そうだな、順当にいけば傅嘏殿の父親が出てくるであろうが、彼も実績は特に書かれていないことから、傅睿殿とあまり評価は変わらないだろうしな。
確かに、傅嘏の父親もすぐに出てくるが、能力的には傅嘏に比べると実績がない分、どうしても控えめの評価になるからのう。
やはりそうなるか。さて、能力評価はこれで終わりだろうが、傅嘏殿の紹介も終わりか?
いや、彼は細かいエピソードがそこそこあるので、そこら辺を紹介しようと思うんじゃよ。
それでは次は傅嘏殿の逸話と言うことだな。それでは次もまたよろしく頼む。
張郃さん、お疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。