さて、今回は公孫瓚の従弟じゃ。だが彼は正史では僅かな記述しかないのう。字、生没年は不明ぢゃ。
しかしその中で彼は重要な役割を担っておる。まず公孫越は騎兵千騎を率い袁術の所に向かっておる。これは少し説明が必要じゃ。
人物紹介
劉虞の息子劉和が長安の献帝の下におったんぢゃ。献帝は何とか洛陽に戻りたいと、劉和に父の劉虞に迎えに来るようにひそかに命じたんじゃな。
袁術の謀略
そして劉和は袁術の領内を通った時に、天子の意向を袁術に打ち明けたのじゃよ。
すると袁術は協力するふりをして劉和を領内に引き留め、劉虞から兵を送ってもらうように劉和に頼んだのじゃ。劉虞の兵が来たら、一緒に献帝を迎えに行こうという理由での(実際は献帝を迎えに行くのではなく、劉虞の兵力を吸収するためにじゃがの)。
公孫瓚は袁術が劉虞を利用しようとしていることを見抜いておったので派兵に反対したのじゃが、このことが袁術の耳に入るのもまずいと思い(下手すれば公孫瓚が恨まれることになるからのう)、公孫越に騎兵を率いさせ、先に袁術と結ぼうとしたのじゃ。
そしてついでに劉和を秘密裏に逮捕して、彼の軍勢を自らの軍勢に引き入れようともしたのじゃな。
じゃが、これは失敗に終わったのかのう。結局劉和は捕まることなく、袁術の下から逃げ出しているようなのじゃ。もっとも逃げた劉和はまた袁紹の所で足止めを食らうんじゃがな。
公孫越の最期
さて、こうやって劉和逮捕に失敗した後、袁紹と袁術が陽城の辺り(場所は地図を見ると、荊州と司隷の境界付近かのう)で争っておる。袁紹側は周昂と言う武将。袁術側は孫堅と公孫越じゃな。そしてこの戦闘で公孫越は流れ矢に当たり、亡くなっておる。惜しいことじゃ。
補足の説明がちと長くなってしまったが、公孫越に関する記述はここまでじゃな。それでは武将データを載せていくぞい。今回は三作品共に出演しておるぞい。
能力評価
公孫越は劉和を捕まえられなかったことから知謀と政治は低めじゃな。軍事は活躍を見せる前に亡くなったので未知数じゃ。一応軍事はソコソコにしておるが、結果は残せなかったのう。
↓ バナーをクリックしてくれるとうれしいぞい
雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。今回は公孫瓚の従弟、公孫越じゃな。
コーエーさんは公孫瓚ほどではないですが、全体的に軍人としてソコソコな評価になっていますね。逆に師匠の評価は公孫瓚のスケールダウンと言う感じですが、少し低めですね。それとコーエーテクモさん以外の二つのゲームも余り高くないように思います。
うむ、コーエーテクモさんの場合は、演義で袁紹と公孫瓚が争うきっかけとなったキーパーソンじゃからな。役割が重要なことからもそれなりの能力があてがわれておると思うのじゃ。そう言う意味では鄭問之三國志も公孫瓚との比較で言うと似たようなもんじゃろうな、公孫瓚自身がそこまで高くないから、相対的に公孫越も割を食っておる。ただ天舞~三国志正史~とワシの評価が少し辛めかのう。
まあ正史じゃと、劉和を取り逃がしていること、戦闘でも目立つ実績を残すことなく戦死してしまったおるからの。少し抑えめとなってしまったんじゃ。流れ矢と言うことから、戦闘に負けた訳でないじゃろうから運が悪い話じゃな。まあ公孫一族は他にも有能だと思われるものが控えておるから、そちらを楽しみにしてくれい。
ちなみに能力の傾向は優秀な人物が一人おって、同族で違うタイプの人物は大体そのことが記述されておる。逆に言うと、記述されないと言うことは似た傾向なんじゃろうとワシは判断しておる。じゃから何となくスケールダウンした感じに見えてくるのも道理じゃと思うぞい。
子は親に似る、と言いますもんね。師匠の考え方、ちょっとだけわかります。
ちょっとかいw・・・まあ良いかの。皆が全く同じ意見になる、なんてことはないし、もしなったらそれは怖い世界じゃからな。それでは今回はここまでじゃな。また次もよろしく頼むぞい。
また次もよろしくお願いします!!