さて、今回は公孫範じゃな。彼も公孫瓚の従弟じゃ。
字や生没年は不明じゃ。彼も記述は決して多くないが、その中でも彼はきっちり軍才を示しておるぞい。
人物紹介
公孫越が周昂と戦い流れ矢に当たり死亡したことは公孫越の所で書いたが、周昂が袁紹配下であったことから公孫瓚は袁紹に対し激怒しておった。公孫瓚を恐れた袁紹は、従弟の公孫範に勃海太守の印綬を渡し友好関係を結ぼうとしたが、公孫範はそのまま勃海郡の軍兵を引き連れて公孫瓚に協力し、青州、徐州の黄巾賊を打ち破って威勢を上げておる。
つまり公孫瓚が黄巾賊を打ち破った時、軍の中核の一つを担っていたのが公孫範だったと思われるんじゃな。なのでワシの評価では彼の軍事能力は結構高めじゃ。さて、それでは能力評価じゃな。今回は鄭問之三國志以外の2作品には登場しておる。
能力評価
彼は公孫瓚と共に冀州、青州方面で活躍をしておるため、軍事面を高く評価したんじゃ。界橋で負けなければどうなっておったかのう。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回公孫瓚の従弟の公孫範じゃな。
黄巾賊は結構有名ですが、強かったんですか?
うむ、例えば青州黄巾賊は100万いたとされる。彼らによって州刺史や郡太守が何人か殺害され、袁紹や曹操も彼等にはかなり手を焼いておる。最終的に彼らを下し多くを帰農させ、一部を精兵として運用したことで曹操は強大になっておる。そんな黄巾賊をさんざんに打ち破れる、と言うのは生半な実力ではまず無理じゃろう。
そう考えると確かに恐ろしいほどの強さに思えてきますね。ですがそれならなぜ公孫瓚は最終的に敗れたんですか?
うむ、良い質問じゃな。公孫瓚軍の力の源は騎馬隊じゃ。騎馬はただツッコむだけでも相手に威圧と破壊をもたらす。黄巾賊がいくら精強と言っても緒戦は元農民、騎馬隊が突っ込んでくるのを受け止められるはずもない。
じゃが、騎馬には騎馬でいくつか弱点がある。曹操などは対騎馬戦術を編み出し、三国時代でも最強クラスの武人である呂布を散々に打ち破っておる。野球に例えるなら、どんなに剛速球が凄い投手でもそれだけしか球種が無ければ打たれる、と言うようなもんよのう。
ワンパターンだといつか対応されちゃうと言うことですね?
そう言うことじゃ。それまでは適当に繰り出していても相手を蹴散らすことができていた攻撃が、いつしか食い止められるようになった。ならばそれを食い止められないよう、再び必殺の一撃として機能させるにはどうすれば良いのか。そして相手の必殺の一撃はどうやってださせないようにしたら良いのか。
兵法とはざっくりとこう言う研究の積み重ねで成り立ってるようなもんじゃろうな。曹操はその大家として後世にも名を残す英雄である訳じゃ。
ちらちら聞きますけど曹操って凄そうですね。ですが話を聞くと、結局公孫瓚は自分たちの強みを生かすことができなかったから袁紹に敗れた、と言うことで良いのですか?
うむ、その辺りは袁紹陣営の時に説明していくぞい。まあ公孫瓚軍には強さと脆さが同居しておったのは確かじゃ。その強さに袁紹は震え、その脆さを袁紹に突かれたんじゃな。公孫範もその強さの一端を示しておったのは間違いあるまい。
さて、今日はこれぐらいかのう。公孫瓚陣営は結構変な人物も多いから結構追いかけてみると面白いぞい。ではのう。
また見てくださいね。それでは!