さて、今回は辛毗の兄の辛評じゃな。
字は正史本文では見当たらんかったが、徳間書店さんの出しておる『三国志全人名事典』によると仲治らしいのう。字に仲が入っておると言うことは彼は次男で上に名前の伝わっておらん兄があると言うことかのう。
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて、今回は辛毗の兄である辛評じゃな。
あれ、今日はずいぶん私たちの登場早いですね?
うむ、ちとレイアウトを変更してみたんじゃ、能力評価後の解説(と言う名の雑談)もやっていくが冒頭の簡単な説明も入れるぞい。
それじゃあ質問です。辛評は次男らしいですが、上にお兄さんと別にお姉さんがいても「仲」は変わらないんです?
うむ、これは孫権を例に見ると良いが、孫権は男5人女3人の4番目の生まれなんじゃ。兄は孫策一人じゃから姉が二人おることになる。じゃが字は仲謀じゃから、順番付けは男女別々と言うことじゃのう。
辛毗の字は佐治ですが、三男ですか?
うむ、普通は字を付ける順番は伯仲俶季となっておって、四男までの付け方はだいたい決まっておるんじゃがのう・・・。
(つまり良く分からないと言うことですね)
ま、まあ分からんことは誰にでもある、その内分かるかもしれんから、あわてる必要はないんじゃよ。
師匠、人の心の中を勝手に読まないでください・・・。
ほっほっほ、それでは人物の紹介といくかのう。
人物紹介
さて、辛評じゃが多くは郭図とセットで出てくることが多いんじゃ。まあどちらも袁譚派閥じゃから、当然と言えば当然じゃがの。
当初辛評は辛毗と共に袁紹に仕えた所から名前が出ておるが辛毗の兄と言う割には、さして名前が出ておらんのじゃ。郭嘉が袁紹に見切りをつけて去ろうとする時に、会話の相手として名前が出ておるのと、審配が蒋奇に讒言され更迭されそうになった時に、更迭に賛同した人物の一人として名前が挙げられておるぐらいじゃのう。
袁譚時代には袁譚派として郭図とセットで書かれるんじゃよ。例えば『魏氏春秋』によると、劉表と言う後漢の群雄の一人が袁譚と袁尚の仲を取り持とうと、袁譚・袁尚それぞれに書簡を与えておるんじゃ。その時に袁尚に送った書簡には「変事は辛評と郭図によって引き起こされた」と書いてあるんじゃな。
しかし途中で亡くなっておるのか、辛評はいつの間にか名前が出てこなくなるんじゃよ。もしかしたら鄴が陥落した時に辛評の家族が殺害された時に一緒に殺害されたのかも、と思ったがそれじゃったら「辛評と彼の家族」は殺害された、と言う書き方になるはずじゃからのう。
少なくとも翻訳文からは辛評の家族のみが殺害された、と言う風にしか読み取れんのう。
こうして辛評の名は歴史に埋もれ、弟の辛毗は立伝され、魏国で重きを成すこととなるんじゃ。
さて、と言ったところで能力評価と行くかのう。辛評は3作品共に出ておるぞい。
能力評価
辛評じゃが軍事面の実績はほとんど見られないことから、こちらは抑えめの評価じゃな。
一方で、郭図と中心になって政争を繰り広げたことと弟の評価を参考に、知謀政治面は軍事面より高めじゃ。じゃがそれが袁家のためにはなっておらんことから、あまり高く評価することはできんのう。
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雑談ぢゃ
ほっほっほ、どうもくまの爺ですじゃ。さて人物の簡単な紹介を上に載せたので、こちらは能力の話をメインでやっていくぞい。
三国志14と鄭問之三國志では弟の辛毗よりも軍事面の能力が高いですね。
そうじゃなあ、個人的には実際に軍事面で曹洪の下に行ったり、司馬懿の軍を抑える役割を果たした辛毗の方が、軍事面の評価は高いとワシは思ったんで、少し見るポイントが違う感じじゃのう。
天舞は弟の辛毗の方が采配が高いですし、師匠に少し近いですね。
うむ、と言うかワシは正史版の評価として、天舞の能力値を参考にさせてもらっておる部分もあるからの。近いのもその通りかもしれんのう。
さて、少しレイアウトを変えてみたが、キレイに分けられて良いかもしれんのう。
前は能力の話と人物の話がごちゃ混ぜになっていましたからね。それにしてもいきなり変えましたね。
うむ、先日会った友人がアドバイスをくれたんじゃ。自分の中でも、もやもやしてた部分があったんでやってみたが、これ結構イイ感じじゃな。感謝感謝じゃ。
それじゃ今日はここまでとするぞい、次もまたよろしくのう。
次もまた見てくださいね、それではまた!